薬が効かない

話が少し戻りますが・・・

 入院した年の9月11日。WTCのテロがあった日。
朝からTVをつけると、飛行機がビルに向かって飛び込んでいく。
映画の宣伝だと思いました。その後のニュースを見ながら、『こうして、なんの前触れもなく突然失われる命もあるんやな。家族を、大事な人を奪われる不幸があるんやな。私は、命があるんやから、頑張らなあかんわ。』と思いました。

 同室の方の中には、退院が近い高齢の方もいらっしゃいました。退院後の生活について話をしにこられるのはケアマネさん。家族はいらっしゃるけれど、引き取ってはくれないみたいでした。狭い病室ですので、話が丸聞こえなんです。お嫁さんの悪口も聞こえます。ある方は、退院しても1人。このまま入院させてほしいと仰ってました。『退院できると手放しで喜ぶ人ばかりやないんやなあ。いろいろあるなあ。私は待ってくれてる家族もいるし、幸せなんやな・・・』と思いました。

 人と比較するわけではないけれど、というか比較して喜ぶことではないけれど、自分はありがたい環境にいるのだと自分自身に言い聞かせることで、くじけそうになる心をなんとか元気にしようと思っていました。



 体のだるさ、しんどさは変わることなく、症状は進行していきました。夜は、ステロイドの副作用も手伝って不眠になり、毎日眠剤を服用していました。最初、眠剤と聞いて、くせになるものだと思いこんでいたので躊躇したのですが、今はその点も改良されて、くせになることはなく、むしろ寝られないことの方が体にも心にもよくないからと聞き、毎晩飲むようになっていました。
 本当なら薬を1錠減らして、55㎎になるはずだった10月1日。1000を切っていたCPKがさ1800に上がり、減薬は延期になってしまいました。退院が遠のいてしまった・・・。すごく悲しくなりました。

 この頃から、物の飲み込みがとても悪くなってきました。食事は半分食べられたらいいいほうでした。

 10月4日、CPKが2000を超えました。投薬だけでは無理との判断で、パルスという点滴をすることになりました。ステロイド1000mlを3日間入れます。心配した旦那様が、先生に話を聞いてくれました。そして、これ以上は悪くならないでしょうという言葉に、安心したのです。
 3日間の点滴を終え、採血すると、CPKは1500に下がっていました。こうなると、私には採血が何より怖くなっていました。結果が悪かったらどうしよう・・・。上がっていたらどうしよう・・・。数値に一喜一憂するようになっていました。しかし、数値はよくなっていても、筋力は落ちていく。この時から、字が書き辛くなってきました。声は出にくく、食事も飲み物も、どんどん喉を通りにくくなっていきました。薬を飲むことさえ、必死でした。
 左臀部に潰瘍ができていたのですが、ベッドからお尻を持ち上げて移動する力が無く、布団でこすることになり、悪化する一方でした。

 そして10月8日。

 とうとう、薬を飲み込むことが出来なくなり、むせかえってベッドでもがき苦しんでいるところに、旦那様がやってきたのです。びっくりした旦那様がナースコールをし、喉の奥に管を突っ込んで痰の吸引をされました。呼吸も困難になり、酸素マスクがつけられました。そして、動けなくなった体で精一杯暴れました。

 「もう帰る!!!!!もういい!!!!ちっともよくならへんやん!楽にならへんやん!!!毎日毎日我慢してるのに、頑張ってるのに、よくなるって嘘ばっかり!!しんどいままやん!同じ部屋の人は、ご飯も食べてはるのに!!私だけ食べられへんやん!もう帰して!よくならへんのやったら、帰して!!!」

 相当ストレスがたまっていたんですね・・・。

 今日のメニューは何とか、おいしいとかおいしくないとか、わいわい聞こえてくる。私は一口一口飲み込むことに必死やのに。いろんな人が入れ替わり立ち替わり来るお見舞いも、対応するのがしんどくて仕方ない。義理で来るならやめてほしい。本でも読もうと思ったら、本が持てない。日記を書くにも、字が書き辛い。CDでも聞けば?って言われても、イヤホンを耳に当てる力がない。頑張ろう頑張ろうとする気持ちが返って、心に負担を強いていた。焦っていたんですね。

 W先生が来て、「治療を辞めてどうするの?帰ってどうするの?」と、怒った口調で聞くので、「放っておいてください!!」と言い返しました。この頃から、W先生に対しても不信感を持つようになっていました。

 結局、個室に入って気持ちを落ち着けてという配慮をいただき、即日個室に移ったのです。個室は高額です。でも、この病棟の看護師さんたちが病院にかけあってくださり、半額で提供していただけることになりました。

 W先生は好感が持てませんでしたが、ここの看護師さん達は、師長をはじめ本当に暖かい人たちでした。そのことはまた、改めて書きたいと思います。


 飲み込みがかなり悪くなって、薬が飲めないのは困るということで、鼻から管を入れ、食事も液状となり、薬も水に溶かして入れることになりました。


 『少しでも 1つでも らくにして下さい くすり ききます ように・・・・』


 日記に書いた切なる願いでした。


 パルスの効果はあったけれど、投薬になるとまた数値は上がりました。2度目のパルス。投薬と併用で試しましたが、結果は同じ。ステロイドは、プレドニンから強いとされるリンデロンに変更されましたが、これも変わらず。とうとう、ステロイドを20錠(プレドニン換算100㎎)という最大量となり、尚かつパルス併用という、なんだかすごいことになってしまったのです。

 退院どころじゃない。外出どころじゃない。明日がわからない・・・。


 両腕がぱんぱんに腫れ上がりました。だるくてたまりません。だるいのは腕だけではなく、背中、腰、足、ほぼ全身でした。トイレに1人で行けなくなりました。下着をおろしたりあげたリが出来ないんです。もちろん、ふき取る事なんて出来ません。すべて介助が必要となりました。こんなことまで人に頼まないといけないなんて・・・。情けなくて悲しくて。そしてある日、トイレから部屋に戻ってきたとき、一瞬看護師さんの手が離れた瞬間に、膝が『かっくん』と曲がり、立て直す力のない私はそのまま仰向けにひっくり返ったのです。全身の力が無いのです。無抵抗でなんの支えもできないんです。「ごんっ!」という、後頭部を思いっきり床に打ち付ける音が病棟に響き渡りました。音にびっくりした看護師さんたちが慌てて駆けつけ、すぐに頭のCTを撮りました。幸いどこも異常はありませんでしたが、介助していた看護師さんは泣きじゃくり、頭を下げて謝りました。でも、看護師さんを悪く思うなんて気持ち、私には全くありませんでした。むしろ、もうトイレには行かない方がいいなと。迷惑をかけることになると思い、個室にポータブルトイレを置いてもらいました。

 薬は効きました。数値はどんどん下がります。でも、筋力もどんどん落ちました。

 鼻に通した管が喉にこすれて炎症を起こしたため、『胃ろう』という、胃に直接穴を開けて管を入れることになりました。これはもう、食事をとることが出来なくなった高齢者の方が、栄養をとるためにされる処置です。胃に「ぱちん」とスナップボタンのような物をつけるのですが、感覚が鈍っている高齢者の方が多いため、痛いともなんとも仰らないそうです。私が「痛い!!」と叫んだので、担当医が「・・・痛いもんなんや・・・」と言われていたとか。旦那様に後から聞いたんですけど、この『胃ろう』をしたとき、正直「ああ・・・もうあかん・・・」って思ったのだそうです。(笑 そして、高カロリーの液状の栄養をここから入れるのですが、これが合わなかったのか、ひどい下痢を繰り返しました。そこで使うことになったのが・・・『おむつ』です。もう、何がなんだか、私は一体なんなんだか。自尊心は、音を立てて崩れました。おむつに繰り返す下痢を、看護師さんに替えてもらう。いつもいつも「すいません。ごめんなさい。」ばかり言っていた気がします。

 やがて、歩くことはおろか、立つことも出来なくなりました。
 寝返りも打てなくなりました。
 言葉もはっきりしゃべれなくなりました。
 首が、生まれたての赤ちゃんのように座らなくなりました。
 喉は、唾液さえ通らなくなりました。

 動いたのは、肘から先と、目。

 痰でむせて、誤飲性肺炎をおこしかねません。痰の吸引をしてもらうのですが、分単位です。そこで、師長の発案で耳鼻咽喉科で使用される金属製のノズルを吸引器の先につけ、吸引器は常に作動させておいて、自分で引けるようにしてくださいました。これは素晴らしかった(笑 

 首が座っていないので、枕から少しでも頭がずれると苦しくなり、直してもらわないといけません。
 寝たきりなので、寝返りをさせてもらっていました。普通、2時間に1度体制を変えられるそうですが、全身がだるい私は、2時間ももつわけがなく、しょっちゅう変えてもらっていました。
 テレビのリモコン、携帯電話、吸引器のノズル、ナースコールのボタン。これらはすべて手の届くところに置いてもらいました。旦那様がいろいろ考えてくれて、便利なように、少しでも自分で出来るようにと、ベッドサイドにかごをくくりつけたりしてくれました。とにかく、動けないのです。数㎜届かないところに置かれただけで、私にはどうしようもなくなってしまう。だから、ちょっとでも位置を変えられることが不安で不安で、ベッドサイドにはそれらの配置図まで貼ってあったんです。今思うと異常ですが、それだけ追いつめられていたのだと思ってください。

 よく、社会に出ないと世界が狭まる、とか言いますよね。視野を広げるために新しい世界を覗く・・・なんて。そんな感じですよ。世界はどんどん狭まる。視野も狭まる。自分と病気だけの世界。新しい物は何も見えない。考えるのは、次いつナースコールしようか・・・ってこと。しょっちゅう呼んだら悪いと思うから、時間配分考える。もちろん、コールしてもしゃべれないから、「どうしましたか?」なんて聞かれることは無く、無条件で看護師さんがきてくれる。でも、うまくしゃべれなくて、伝わらない。「左足がだるい」って言いたいんだけれど、鼻から空気がもれてるみたいになって、「ひなにあにななぬい」としか言えない。口元に耳を寄せてもらっても、これじゃあわからない。本当に、辛かったです。

 例えば、こんな状態でも、目指すものがあれば我慢できたかも知れない。何ヶ月か我慢したら動くようになるとか、こういう処置を施したら痛みは取れるとか。

 でも、いつ何がどうなるのかさっぱりわからない。W先生に「もうこれ以上、悪くなりませんか?動かないところ増えませんか?」って何度も聞きました。その度に「もう大丈夫」って言われて、裏切られる形になってきた。数値なんてどうでもよくなっていました。データなんてあてにならない。動くか動かないかの数値がでればいいのに。

 それでも、人は『頑張れ』って言いました。何をどう頑張れと?頑張ってなんとかなるなら、いくらだって頑張るよ?でも、今の私に何を頑張れって言うの?

 この時から、私は人に『頑張れ』ってむやみに言わなくなりました。『頑張る』は、いい。でも、一生懸命頑張っている人に、それ以上頑張れなんて言えない。

 


 ・・・ああ。大変長文になってしまいました( ̄ー ̄;)  申し訳ない。
本日はこの辺で・・・。

お疲れさまです( ̄m ̄*)

 

この記事へのコメント

たかちゃん
2009年05月21日 09:50
おにばばさんは、凄い闘病生活をなさっていたのですね。私もオムツをしたけどそれは、頭がおかしくなってしまったせいなので、その時は、精神的な屈辱はなかったですね。

でも、今脳腫瘍の母を見ていると私は,SLEだったから段々良くなって こうしていられるけど母は日一日悪くなり体と心が離れていくのだなと思います。
手術して1年の命と、何もしないで半年の命としたら、おにばばさんはどちらをとりますか?
本人は もう分かりません。私たちが決めなければなりません。
何のために、私たちは生まれてきたのでしょう。
最近、何をしても心が動きません。おなかを抱えて笑う日がほしい!悔しくって泣く日がほしい!そう思うことで生きているって思えるんじゃないかな?

おにばば
2009年05月22日 11:09
>たかちゃんさん
私、おむつ使ったとき、「頭も壊れてくれたらいいのに・・」ってまじで思いました。それはそれで、周りに辛い思いもさせるのだろうけれど・・・。自分のことが自分で出来るって、素晴らしいですよね☆

病気の家族を見ているのって、本当にお辛いですよね。確かに、治るとわかっていれば、先が見えていれば心の持ちようも違うのでしょうけれど。
うちも実は、余命宣告ではないけれど、治療をするかしないかの選択を迫られました。(おじいちゃんの) 手術は年齢的にも無理。放射線、抗ガン剤は副作用がかなりきつく、間質性肺炎をもつおじいちゃんには命取りにもなりかねない。それでも治療をして病と闘うか、自宅でゆっくり余生を過ごすか・・・というような。うちはまだ本人が元気ですし、本人の意思を尊重しましたが・・・家族も同じ思いでしたね。これ以上しんどい思いしないでほしい。たとえ寿命が短くなるのだとしても、短い時間を家族で大事にしていきたい。
おにばば
2009年05月22日 11:09
続き・・・
「何のために生きるのか」って、すごく深いけど、すごく当たり前の疑問だと思うんです。どこかで読んだんですけど、『何のためにっていうのは、余裕があるとき。生きるか死ぬかという立場に追い込まれたとき、生きるために生きるのだと気付いた』って。単純でいいと思うんです。生きる理由なんて。美味しい物を食べたとき、「ああ、幸せ!」とか思う。この瞬間のために生きてきたぞ~~みたいな。刹那的な生き方がいいと言っているわけではなく、わたしもたかちゃんさんも、病気を持っているから、今この瞬間動けたり、元気でいられることが一番だと思うから。
そういう意味では、たかちゃんさんが仰るとおり、笑ったり泣いたりするのって、「生きてる」実感が一番湧くことですよね。虚無な感じがいちばん辛いですよね。でも、何か1つでも・・・子どもさんのことでも、嬉しいこと見つけてくださいね!
やっぱり頑張って!とは言いません(笑 無理はしないで!!
2009年05月25日 09:36
おにちゃん壮絶だったね!!(すごい・・・)
私も少しの間、下の世話してもらってこんなこともできん!!って悔しかったわ
寝たきりってすごく不安で、体もきつい・・・寝返りって大事だと思ったわ!
2時間3時間ほっとかれるのがきつい!!
できれば30分ごとに動かして欲しかったわ(笑)
ちょっとの間でこれだもん
おにちゃんは・・・
どんどん動けなくなって、胃ろうまでして・・・
そりゃあ、不安も大きかったことでしょう!!
すごかったね!!
おにばば
2009年05月25日 12:34
>キノちゃん
そうね・・・今思えば、かなりすごかった(笑 でも、今となっては『このくらい・・』なんだよね。このときは「もう、元には戻れない」って言われてたんだよ。だからきつかったんだな。
寝たきりはきついよね~~~。2時間って長いよ、ほんと。キノちゃんもいろんなことに耐えてきてる。私たちは不死身だ!(爆

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